俺の大学生活を書きなぐるスレ

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まず話は高校時代に遡る

 

感動した!

 

 

うちの高校でも文理選択はあったんだが
俺は迷っていた。

 

理系科目は苦手だが、夢があると思っていた
文系科目は得意だが、就職が難しいと聞いていた

俺は就職に強い理系を選び、そのまま大学進学した

 

因みに今4年生で今年卒業

入ったのは電気科だった
多分ハイブリッドカーとか注目されてたからだと思うが、今思えば愚かな選択だったと思う

 

聞いてる

 

普通に情報科とかあったのになんで選ばなかったんだろう

ともかく入った俺は入学式早々絶望した

女子が居ない

 

大学に入れば彼女の一人もできるだろうと思った俺の目論見は早々に崩壊した
まぁ、それだけならまだ良かった。

 

2浪で文系転向を決意した俺にはタイムリーなスレ

 

一年の頃はまだ難しい科目もなく、スムーズに進んだ
実験もさほど難しくなく、実験の終わりにA4のレポート用紙を提出するというものだった
その時はまだ、2年から始まる地獄を想定しても居なかった

 

講義以外のことを話すと、写真部に入部した
俺はコンデジしか持っていなかったが、楽そうで女子居そうな雰囲気に惹かれ入部した

 

まぁ結論から話すと、女子はそれほど居なかった
しかし今の俺からすると写真部はオアシスとも言えた

さて、俺は2年になった

 

2年になると電気科の実験が始まった。
1年前期でさっき話した工学部共通の実験をして、後期も実験はあったが選択なので取らなかった

最初のオリエンテーションで俺はまたも驚いた
1週間で2~30枚のレポートを出すといっていたからだ

 

バカジャネーノと思ったがどうやらマジらしい。
この時既に俺はこの電気科に入ったことを後悔し始めていた。

それは通常の講義でも同じことで、専門科目の難易度が徐々に上がってきていた
電気磁気学、電気回路……。おそらく殆ど頭に入ってなかったと思う

 

行ったことないけど電電とか大変そう

 

電気科の俺にタイムリーなスレ

 

どちらかと言うと、実験自体というよりそれに追随するレポートがきつい
なにせ2,30枚だ。書くのにも手間がかかる。手書きじゃないだけまだましなんだろうが

夏休みの宿題は31日にやる派の俺は此処で既に苦労していた

 

だが、こういう時に友達というのは役に立って
仲の良かった友達でレポートを回し、なんとか提出していた
完コピではバレるので、ちょっとずつ変えていたのがいかにも俺らしい、と思う

というわけで2年前期はなんとか終わらせた。
だが、地獄はまだまだやってくる

 

夏休みは車校に行き、免許を取った。
マニュアルで合宿。正直めんどくさかったがなんとか取れた
このせいで車好きの父親にマニュアル車ばかり乗せられるのはまた別の話

さて、2年後期となった
正直、ココからマジでしんどかった

 

何が辛いって、レポートの枚数が上がるのなんの
一部楽なレポートの教授も居たが一部に過ぎず、殆どは30枚前後を押し付けてくる
それに加えて実験自体の難易度も上がってくるんだからだめだこりゃ

そんな疲弊した俺を支えてくれたのは友人と写真部だった

 

この時期になると仲の良い友人とはほんとうに仲が良くなる。
数人で集まった麻雀したり、冬はスキーに行ったり。本当に楽しかった

写真部の方はというと、好きな子ができた
写真に対して誠実な子だと思った。人を好きになるって良いよね

 

30枚って卒論かよ…
ブラック大学なのか理系はそれが普通なのか…

 

>>26
俺の研究室では卒論は60枚以上がデフォ

更に不幸は続く
3年にもなり、実験と講義がさらに専門的になっていった
講義は良かった。地頭は良かったので友人と勉強したりしてなんとか乗り越えられた
だが実験はそうは行かなかった

 

しかし告白なんてものは出来ず、気づけば3年生になっていた。
3年からは就職ゼミというものが有った。簡単にいえば、就職に関する説明会。

最悪だったのは、このゼミと写真部の部会が殆ど被ってしまったのだ
好きな子も3年だったが、その子のゼミは別日に有り、会うことも少なくなってしまった

 

30枚とかえぐすぎね?

 

2,30枚は当然として、実験自体が難しいのでテキストを読み込まなくてはいけない
しかもうちの教授陣がまぁ頭のネジ数本ぶっ飛んでるような奴らだったので、理不尽に怒られることも多々
ストレスが溜まっていく。しかしレポートは描かなくては単位が取れず、卒業できない
頭が痛くなっていった

 

癒やしてくれるのは写真部と友人
だが写真部ではその好きな子とだんだん距離が遠くなっていった
と言っても、俺が積極的にアプローチしなかったからなんだがそれで余計にストレスがたまった

そんな中で、俺はとあるゲームにハマった

 

FPSである

 

詳しくは書かないがそのゲームは俺の疲れた心を癒やすのには十分すぎるほどだった
そのゲームをしていると自然と心が休まり、集中できた。
PCゲームなのが辛いところだったが、大学では友人が居る。少しだけ希望が持てた

 

さて、講義のことを書くととんでもない教授と出会った。
講義中に出されるレポートを全て手書きで出せという俺にとって天敵とも言える相手だった
しかもその教授は実験にも参加しており、実験のレポートもソイツの所は手書きで書かなければいけなかった

今までワードだから乗り切れてきた俺だったが、流石に心が折れかけた

 

意地の悪いことにソイツの担当する実験は屈指の難易度と悪名高いそれ。
友人のレポートをパクリつつ、しかしオリジナリティも出さなければいけない
しかも2,30枚

その頃から、俺は徹夜が多くなった

 

読んでる

 

たまにいるが手書き強制って意味不明すぎる

 

先程も言ったが俺は夏休みの宿題を31日にやるタイプなもので
ほとんどのレポートは期限前日に書いていた

しかし徹夜をしてからというもの、前日というよりはむしろ当日に書いている方が多くなっていった
当然、講義中で寝ることも多くなった
当たり前だが寝ると注意される教授も多かったので、寝て注意されてを繰り返していた

 

もう理系でしか生きられないというやつ以外は文系に行ったほうが良いと思う
理由は後で話す

それでも俺は成績で言えば学年上位を保持していた
俺の頭が良かったというより、他の連中がまとめてゴミだったせいも有る。Fランだし

だが、それでも地獄は終わらなかった。
むしろ、ココからが本番と言えた

 

3年になると、研究室決めというものがあった
その名の通り各研究室の説明を聞いて所属を決めるのだが、俺はとある研究室に心を惹かれた
これも詳しくは書かないが、電気科ではちょっと異端な物
ココまで読んでくれた人にはわかると思うが、俺が電気科が余り好きではない
なのでちょっと異端なこの研究室に心惹かれたのだと思う

 

聞けば、友人の数人もこの研究室にはいるという。
ならば話は早く、研究室の見学へと足を運んだ

出迎えてくれたのは先輩と教授
この教授は講義でも会っていて、あまり厳しくない教授だった
加えて研究テーマも面白そうだ。

最早他の研究室は目に入らず、結局その研究室へ行くこととなった
文理選択と並ぶ俺の最大の間違いがココだったと思う。

 

ざわざわ

 

3年後期に、研究室担当教授によるゼミが行われた。
ココでもその教授は厳しくない今までの教授で、俺や他の奴らも安心しきっていた

そして、4年を迎えた。

 

みてるぞ

 

3年生の3月。
俺達は4月に先駆けて研究室に来るようになった

その教授からはその日からは毎日来るように言われたが、不思議と辛くはなかった
教授と研究室に対する先入観や仲の良い友人、そしてゲーム。恐れるものは何もなかった

だが、その当日の教授の一言で俺の研究室生活は一変した

「俺君、君の研究テーマ変更するから」

 

は? と思った。
3年のゼミの段階で研究テーマを決めていた俺達新4年生。
俺がそのテーマを選んだ理由は単純に楽そうだったのだが、
まぁともかくそのテーマに対する理解も深めており、研究をする気は万端だった

だが、教授はそれを一言でぶち壊しにした

 

聞けば、決めた段階ではやらせるつもりだったのが、直前になって見込みが無いことが判明し
急遽テーマを変更したんだそう

まだ、その時点では良かった。すんなり受け入れられた。
まだみんなも研究始まってもないし。全然頑張れる、そう思っていた
その時までは

 

見込みがないとは一体

 

>>50
研究テーマ自体が破綻してたんじゃね
研究してもろくな結果が得られないとか

 

なんか聞きたいこととかあったら書いてね

変更されたテーマ。それは他の学科の助けを必要とするテーマだった
なので、助けを必要とする時はその学科まで行かなくてはいけない。
他の奴らは研究室内で完結するテーマだったから、少々会える時間が減ってしまう

それだけ、だと思っていた
少々のことで友情が崩壊することはないと、そう思っていた

 

あぁ…

 

俺のテーマは今年から始まる新テーマで、他はみんな既存テーマ
その時点で俺は何かしら気付くべきだったのかもしれない

ともかく研究が始まり、俺はそのテーマが案外時間の掛かるものだということに気付いた

 

同じ物事に別視点からアプローチするものだったのだが、
他の奴らに比べて俺の実験時間は2倍以上長い。
加えて新テーマだ。すぐに成果が出るわけもなかった

少し、焦りが生じ始めていた

 

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