徹底調査 東京大学「首席卒業」のその後
学校で一番優秀だった人間は、社会に出て何をなしたのか
「東大に合格した」と言えば、世間から見れば紛れもないトップレベルの学生たちだ。なかでもトップたる首席卒業ともなれば、
順風満帆の天才秀才揃いと思える。だがご本人たちに振り返ってもらうと、人生は山あり谷ありのようだ。
■過酷な運命が待っていた
東大首席卒業-。それは最高学府に進んだ学生のなかでも、トップであったことを意味する言葉だ。
明治大正の世ならば天皇から恩賜の銀時計を授けられる、栄誉ある地位だった。
では、東大を首席卒業した人々は、その後、どのような人生を歩んだのだろうか。本誌は昭和30年代の卒業生を中心に、
卒業式で学部総代を務めた、いわゆる首席卒業生を徹底取材。そこにはさまざまな運命を辿った人々がいた。
主な人々の「その後」は上の表をご覧いただきたい。
「80歳を過ぎたいまになって思うのは、人生を左右するのは、学歴よりも『人』だということですね」
昭和32(’57)年に東大農学部林学科を卒業、代表として答辞を読んだ甘利敬正氏(81歳)はこう語る。
「林学科を選んだのは郷里が長野県の浅間山の麓だったからでしょう。卒業式では答辞を読みましたが、
これは15人ほどいた同級生たちから『コックスなんだから声を出すのは得意だろう』と推されたからですよ。
学生時代、私は東大ボート部でコックス(先頭で舵を取り、漕ぎ手に号令をかける役)を務めていたんです」
だが就職した王子製紙では新入社員時代、答辞を読んだ押しも押されもせぬ東大首席と期待されることで気が抜けなかったという。
「いくら『声が出たから』などと説明しても、『またまた謙遜して』と言われてしまうんですよ」
(続く) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39293
学校で一番優秀だった人間は、社会に出て何をなしたのか
「東大に合格した」と言えば、世間から見れば紛れもないトップレベルの学生たちだ。なかでもトップたる首席卒業ともなれば、
順風満帆の天才秀才揃いと思える。だがご本人たちに振り返ってもらうと、人生は山あり谷ありのようだ。
■過酷な運命が待っていた
東大首席卒業-。それは最高学府に進んだ学生のなかでも、トップであったことを意味する言葉だ。
明治大正の世ならば天皇から恩賜の銀時計を授けられる、栄誉ある地位だった。
では、東大を首席卒業した人々は、その後、どのような人生を歩んだのだろうか。本誌は昭和30年代の卒業生を中心に、
卒業式で学部総代を務めた、いわゆる首席卒業生を徹底取材。そこにはさまざまな運命を辿った人々がいた。
主な人々の「その後」は上の表をご覧いただきたい。
「80歳を過ぎたいまになって思うのは、人生を左右するのは、学歴よりも『人』だということですね」
昭和32(’57)年に東大農学部林学科を卒業、代表として答辞を読んだ甘利敬正氏(81歳)はこう語る。
「林学科を選んだのは郷里が長野県の浅間山の麓だったからでしょう。卒業式では答辞を読みましたが、
これは15人ほどいた同級生たちから『コックスなんだから声を出すのは得意だろう』と推されたからですよ。
学生時代、私は東大ボート部でコックス(先頭で舵を取り、漕ぎ手に号令をかける役)を務めていたんです」
だが就職した王子製紙では新入社員時代、答辞を読んだ押しも押されもせぬ東大首席と期待されることで気が抜けなかったという。
「いくら『声が出たから』などと説明しても、『またまた謙遜して』と言われてしまうんですよ」
(続く) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39293
「東大首席のくせに」と後ろ指をさされぬよう仕事に打ち込み、専務まで務めて退任。子会社社長などを経て、
現在は王子製紙OB・OGの親睦会・東京王友会会長だ。甘利氏が人生を左右するのは人とのつながりと感じるのはなぜか。
「実は腎臓病などで7回も手術をしたんです。サラリーマン人生のピーク時でしたが、会社は私を閑職に追いやることもなかった。
体を壊してから、人の情け、とくに妻のありがたさが身に染みました」
逆に、首席卒業生のなかには、過酷な運命の荒波に直面した人々もいる。
たとえば昭和34(’59)年に農学部の総代を務めた大野木克信氏。日本長期信用銀行に入行し、’95年に頭取就任。
ところが長銀は’98年に経営破綻。大野木氏は粉飾決算事件で逮捕・起訴され、最高裁で無罪確定という長い苦難の道を歩んだ。
もちろん、首席卒業生がみな、悲劇の人ばかりというわけではない。
昭和30(’55)年教養学部総代の小和田恆氏は外務省に入省。いわずとしれた雅子妃の父親だが、外務事務次官、国連大使、
国際司法裁判所所長を歴任する。
昭和33(’58)年法学部総代の角谷正彦氏は、国家公務員採用上級試験首席合格、司法試験首席合格で、史上まれに見る「三冠王」。
大蔵省に入省し、主計局次長として国鉄分割・民営化を主導、のちには証券局長や国税庁長官を務めた。
まさに世間的に見た「東大首席」らしく官僚の王道を行ったと言えるだろう。
(続きはこちら)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39293
現在は王子製紙OB・OGの親睦会・東京王友会会長だ。甘利氏が人生を左右するのは人とのつながりと感じるのはなぜか。
「実は腎臓病などで7回も手術をしたんです。サラリーマン人生のピーク時でしたが、会社は私を閑職に追いやることもなかった。
体を壊してから、人の情け、とくに妻のありがたさが身に染みました」
逆に、首席卒業生のなかには、過酷な運命の荒波に直面した人々もいる。
たとえば昭和34(’59)年に農学部の総代を務めた大野木克信氏。日本長期信用銀行に入行し、’95年に頭取就任。
ところが長銀は’98年に経営破綻。大野木氏は粉飾決算事件で逮捕・起訴され、最高裁で無罪確定という長い苦難の道を歩んだ。
もちろん、首席卒業生がみな、悲劇の人ばかりというわけではない。
昭和30(’55)年教養学部総代の小和田恆氏は外務省に入省。いわずとしれた雅子妃の父親だが、外務事務次官、国連大使、
国際司法裁判所所長を歴任する。
昭和33(’58)年法学部総代の角谷正彦氏は、国家公務員採用上級試験首席合格、司法試験首席合格で、史上まれに見る「三冠王」。
大蔵省に入省し、主計局次長として国鉄分割・民営化を主導、のちには証券局長や国税庁長官を務めた。
まさに世間的に見た「東大首席」らしく官僚の王道を行ったと言えるだろう。
(続きはこちら)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39293
もう底辺の嫉妬スレは飽きた
過酷どころか栄光の人生じゃんかw
宮廷早慶出て非正規やニートになるのが本当の過酷な人生だろうが
宮廷早慶出て非正規やニートになるのが本当の過酷な人生だろうが
最後の三冠王凄すぎるな
でもワンパンで泣いちゃうんだよね
>>12
よう脳筋
よう脳筋
悲劇の人どこに出てくんの?w
一番悲劇の人は
法学部首席卒業の三島由紀夫やね
法学部首席卒業の三島由紀夫やね
戦前の東京帝大の卒業式には、天皇陛下が臨席したからな
明治天皇、東京帝国大学行幸(明治45年)
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2009/07/post_175.html
明治天皇、東京帝国大学行幸(明治45年)
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2009/07/post_175.html
駄目になったやつを見たいんだが
海外大使館で事務官したいんだけどどうすればなれる?
>>28
裏方やりたいだけなら専門卒でも試験受かればなれる
大使やりたいなら東大オンリーだけど
裏方やりたいだけなら専門卒でも試験受かればなれる
大使やりたいなら東大オンリーだけど
学歴なんかいらねえわwww
うちの社長工業高卒だが、小さい頃から貧しくて色んな商売の手伝いやったりして人の感情の読み方、つかみかた、関わり方を大いに学んだって言ってたしね
東大卒の常務等の上だからな…マジすげえ
うちの社長工業高卒だが、小さい頃から貧しくて色んな商売の手伝いやったりして人の感情の読み方、つかみかた、関わり方を大いに学んだって言ってたしね
東大卒の常務等の上だからな…マジすげえ
東大工学部卒 スタンフォード博士 首相
なんと美しい経歴・・・。
なんと美しい経歴・・・。
揃ってエリート街道まっしぐら、大成功の人生で、イメージそのままじゃないかw
どこに「過酷な運命」が待ってるの?
ホームレスになったとか期待して読んだのに
ホームレスになったとか期待して読んだのに
いっぱいお金もらってそうな人生だな
東大主席なんて何十人もいるだろうに、有名になった人は殆どいないよな
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