ワイのクズで凄惨な受験生活の軌跡wwwwww

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~高校編~

ワシの心に巣食う悪魔。その名も学歴コンプ(高校2年2月以前)
当時、ワイは高校2年生の夏頃からあらゆる進学校(偏差値55以上の高校)とその生徒に対して、異常なまでの”羨望心”と”劣等感”を抱いていた・・・

逆襲のワオナイト(高校2年3月末)
偏差値40未満の高校に学籍を置きながらも、ワイは”受験という青春の謳歌”と”進学校生への逆襲(意味不明)”を目的に国公立大受験の火蓋を切る

怠慢マン(高校3年4月~6月)
いざ受験を決意したものの、勉強に取り組んだ経験が皆無なワイが勉強に励める訳もなく自堕落な日々を過ごす

まだまだ続くでー

無駄な努力(高校三年7~9月)
無能受験生にありがちな”参考書や勉強法の調査や考察に勤しむ”という愚行に例に漏れず溺れる。この頃から焦燥感や不安に駆り立てられるように・・・

超高校級のガイジ(高校3年10~12月)
マーク模試にて現代文と公民科目を除いた全ての科目で偏差値20~30台を叩き出すという人として最低過ぎる記録を樹立する。一般入試を諦めて推薦入試へと舵を切ろうとするも時すで遅し。ほとんどの大学では出願を閉め切っていたのだ!

偏差値20台って0点でも無理やろ

イッチの高校は偏差値いくつなんや

>>12
37やで

~地獄編~

勝利宣言(浪人時代の4月)
一度は大学受験から完全に逃げたが、学歴や偏差値コンプの怪人であったワイが高卒で満足出来るはずもなく再度大学受験を決意。親に頼み込んで予備校に通わせてもらい、真人間になると神へ誓う

クズは再度繰り返す(浪人時代の4月~5月)
最初の一週間は真面目に予備校へと通っていたワイだったが、その熱意も徐々に衰退していきGW明けには近隣のブコフや図書館で時間を潰すようにった。
しかし、運命の5月末日にチューター(?)から「6月中旬の三者面談にて親御さんに貴方の成績や出席状況を通知いたします」との死刑宣告を受ける

サボり癖やんけ

>>13
癖なんてレベルやないんやけどな

~勤労青年編~

地獄への第一歩(勤労青年時代の6月)
陰鬱な日々を過ごすワイの脳内に”家出”という悪魔的発想が駆け抜ける。思い立ったら即行動!がモットーの軽率で楽観的なワイは、家出の準備や計画を着々と進行し三者面談前日に家を脱走する。
しかし、駅にて親父にエンカウント。最初は弱気なワイだったが、連れ戻された後に待つ破壊的恐怖にガイジ化。親父の制止を振り切り電車に駆け込む。そして、バスや電車などを経由して、住み込みバイトの話を付けておいたど田舎旅館へと到着する

旅館での日々(勤労青年時代の6~7月)
ワイは晴れて旅館の裏方として働くことになった。しかし、其処は今までニート生活の同然を謳歌していたワイにとっては地獄ともとれる場所であった。
まず、第一に従業員のリア充&DQN率が高い。また、仕事も非常に辛い。そして、ど田舎であった為にネット環境や生活環境すらまともに整備されていなかったのだ。これはキツかった

受験日に発狂して国外逃亡した知り合いの方が上だわ

>>21
すごE

人生楽しそうやんけ

地獄からの脱出(勤労青年時代8月)
2015年7月末。ワイは辛うじて旅館での仕事を全うし切った。しかし、そこで終わりではない。このまま、休んでいては何れは金が底を尽き、実家に戻らねばならなくなる。これだけはいけない。ということで、ワイは警備会社に契約社員(?)として入社することにしたのだ!

受験生活はどうしたんや

>>35
最後まで見ればわかるって

~警備員生活、指導!~(勤労青年時代8月)
ワイは警備員としての研修を受ける為に、西日本の某県へと移動した。ワイはその県にある本社にて4日間ほどの研修を受講した後に、別の県にて警備員として働き始めることになる。あ、ちなみに、この時に住んだ町のことは今でも強く覚えている

【驚愕】最強警備員、ガイジマン爆誕!(勤労青年時代の8月)
ワイは某施設にて来訪者の確認や不審者の警戒、施設の清掃、巡回などの業務を担当しており、それなりに充実した仕事や生活を満喫していた。
しかし、ワイは何となく見ていたバイトや派遣の募集サイトで驚異的な案件を発見してしまう。そう、その案件とは知る人ぞ知る非正規雇用者の頂点・・・期間工の募集だった

【悲報】勤務10日目で退職!皆さん!すんません!(勤労青年時代 8月)
晴れて期間工として採用されることになったワイには「如何にして警備員をやめるか」という一つの課題が残っていた。言い出しにくいことではあったが、ちゃんと申告されば大丈夫なはずだ!と考えたワイはその旨を主任に伝え・・・この後のことは思い出したくない

【朗報】ワイガイジ、工員になる!(勤労青年時代 8月中旬~11月中旬)
ワイは関東地方に所在する工場で日夜期間工として検査や機械操作(適当)の工程を担っていた
繁忙期には一日12時間労働だなんてザラであったが、給料や福利厚生が信じられない程充実していた為に何の苦にもならなかった。また、話が本当に合った先輩(何と、名門・金沢大の卒業生!)と過ごした時間は今でも忘れられない!

お、進歩しとる

なんでその無駄な行動力を受験に使わんかったんや

【悲報】ワイガイジ、絶望に死す(勤労青年時代 11月中旬)
期間工としての勤務終了が間近に迫っていたワイは、新たなる住処を確保する為に物件を探し回っていた。
無事、理想の物件が見つかり部屋を契約しようとしたが、ここで最大の障壁がワオの前に立ち塞がる。
そう、物件契約の際には親の同意が必要なのだ。ワイはこれ以上無いほどに絶望した。泣いた。だからといって、今更実家に帰るなんて真似は出来ない。
故にワイは意を決して親に電話を掛け、生活費を賄うだけの経済力はあるから、部屋の契約に同意して欲しい!との趣旨を伝えた。
そしたら・・・ダメやった。ワオは死んだ。ただ、親から告げられた「予備校代は後々働いて返せばいい。大学受験もしなくていい。とにかく、実家に戻ってきて少しの間休みなさい。その後に、就職しなさい」との言葉で息を吹き返し実家への帰還を決意した

人間未満、帰還する(浪人時代11月中旬)
半年振りの故郷は以前と何一つ様相を変えていなかった。ただ、ワイの心にぽっかりと空いとる穴を満たしてくれた気がした。親友の元を訪ね緊張を解したワイはリラックスしながら実家のドアを開いた。
そしたら、家族は意外にも平静で怒りも感動もしなかった。ホンマに普段と変わらんような生活を送っとった。その後に色々なことについて話し合い、月に3万円を家庭に納めることで衣食住を保障してもらえる。ということで決着が着いたんや。
まあ、ワイの家は裕福な部類だったんやけどな。両親の「ただ飯食らい(ニート)だけは絶対に許さない」とかいう謎方針が災いしてな・・・はぁ・・・

というか普通にニートよりは真人間で草生える

親がまともすぎて草

受験やめとるやん

建前ニート。本音受験生。(浪人時代 11月中旬~2月末)
PCや端末を封印して、全財産を家族に預けて、人生で初めて勉強に取り組んで、センター試験や二次試験を受験した。
ただ、それだけの時期。とはいっても、受験を続けているということは誰にも伝えていなかった。
これ以上面倒なことを起こしたくなかったし、家族や友人にはサプライズに合格を通知したかったし・・・何よりニートという建前がプレッシャーや罪悪感を相殺してくれた。
「これまでのワイは受験生を名乗ったニートやったんや!せやから、勉強せんで当然だったんや!」という感じでなw
あ、志望校は地元の公立大学な。4教科5科目でセンターボーダーが70%程度の・・・まあ、中堅レベルの公立大やな

とうとう、国公立大の合格発表!ワイは憧れの”国公立大生”になれるか!?(3月上旬)

no title

よかおめ

おめでとう
よーやったな

がんばったね

【悲報】偉業を成し遂げるも周囲の人間の反応・・・(3月上旬)
ワイの結果を喜んでくれる人は誰一人といなかった。何故なら、ワイの周囲の人間は国立大がデフォやったから😭・・・

そして、憤怒と悔恨の末にワイが辿り着いた境地

それは・・・学歴コンプ。正しくは国立大コンプ

つまり、原点回帰

ワイは全く成長していなかった。ガイジは永遠にガイジなままなのだ

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